被災地からの報告 高橋徳治商店について

10月12日(金)宮城県東松島市の高橋徳治商店を訪ねました。

1905年(明治38年)宮城県石巻市川口町で創業の高橋徳治商店は、宮城県石巻市の沿岸部に3つの工場がありましたが、2011年の東日本大震災の津波で全壊しました。その後、2015年(平成25年)7月には、東松島市に1000坪の新工場を新設、2018年(平成30年)3月、同工場敷地内に250坪の野菜加工場を新設しました。東松島市の新工場は、鉄筋平屋で床面積は約3300平方メートルあり、環境に配慮した設備である発光ダイオード証明や太陽光発電装置などを設置し、また、井戸水を活用した冷暖房システムを導入しました。新しい工場内は、包装室の床を抗菌仕様にするなど衛生管理を徹底し、随所に、原料の鮮度を落とさない工夫が施されています。従業員数は、新規採用者を含めても震災前の半数となりましたが、被災からの復興に向けて支援を惜しまなかった生協等の取引先やボランティアに後押しされ、また、高橋徳治商店の練り製品を待つおおぜいの生協組合員に応えるべく再出発を果たしました。

高橋徳治商店の現在の売上高は、震災まえの6割弱、経営は厳しい状況にあります。

このような中での野菜加工場の新設には、会社内から多くの異論が出ていたそうです。この野菜加工場は、未就労の若者の就労訓練の場となることを目的に建設されようとしていましたが、遅刻や欠席が頻繁でとても就労とは認められない状態の若者に対し、従業員たちからはなぜ、働こうとしない若者のために苦しい経営のなかであえて財政負担をするのかと批判されていました。高橋徳治商店の現在の社長である高橋英雄社長は、震災後に中間就労支援に当たるNPO法人ワーカーズコープ石巻地域若者サポートステーションの三船洋人代表と出会い、若い世代の未就労者の実態を知りました。石巻地方や近隣に在住する15歳~39歳の若年未就労者は1000人に達すると言う実態を知り衝撃を受けたのです。しかし、周囲の無理解のまま未就労の若者に対する支援を続けていたのですが、社内の従業員たちも休んでばかりいた若者が変わりはじめ、就労に励むようになる姿を目にし、社長の想いを理解するようになり、協力するようになったとの事です。「人が変わって行く姿」を見ることが、最も人に感動を与える、また、復興を実感すると社長は語ります。社内では、未就労の若者への支援に対する理解が広がり、社員の中からは進んで若者の支援に当たる人たちも出てきているそうです。高橋社長は「ひきこもりといったさまざまな悩みを抱える若者が一緒になって何かをつくり出すことで、お互いに豊かな関係を構築できる。まずは就業し、野菜加工を通して新たな一歩を踏み出してほしい」とも話しています。