東日本大震災、被災地の今を報告しました。

2018年12月5日 00時18分 | カテゴリー: 活動報告

高橋徳治商店新工場

東日本大震災から7年が経過しましたが、いまだに約7万9,000人の人が避難生活を送り、福島県の約3万5,000人の人の故郷は放射能汚染で失われた状態です。放射線による子どもたちへの健康被害が懸念される中、安全基準引下げによる帰還促進や原発再稼働への動きは、世界の国々からも疑問視されています。11月29日(木)、伊勢原駅近くで個人宅を地域の居場所として開放している「ふくじゅ」をお借りし、10月半ばに訪問した被災地の現状について一部ではありますが、報告しました。

最初の訪問場所は、宮城県東松島市で無添加の練り製品を製造する『高橋徳治商店」です。明治時代に石巻市で創業していますが、東日本大震災による大津波被害で工場が全壊し、営業は停止しました。しかし、4年後の2015年に場所を東松島市に移し、1000坪の工場を新設し、製造を再開しました。2018年には、さらに250坪の野菜加工場を若者の就労訓練のために新設したのですが、会社内部からは多くの異論が出ました。高橋徳治商店の現在の売上高は震災前の6割程度であり、経営は厳しい状況にあるためです。しかし、現在の社長である高橋英雄さんは、震災後、この地域に1000人以上はいると言われている若年未就労者の存在に胸を痛め、若者の就労訓練の場にしたいと考えたのです。遅刻や欠席が頻繁でとても就労とは認められない社内から批判されていた若者が徐々に変わりはじめ、働けるようになる姿を目にし、従業員たちも社長に理解を示すようになりました。復興の途上であっても若者たちへの支援に取り組む姿勢に私たちも多いに励まされました。

ツアー2日目は、石巻市立大川小学校を訪ねました。全校児童生徒108名のうち実に74名が、そして教職員10名も犠牲となった場所です。大川小学校は海からは約4㎞の距離があり、避難所として指定されていました。地震発生から津波到達まで51分という時間があり、小学校の裏手の山は緩やかな傾斜で体験学習が行われる場所でもあり、高台と言える場所です。助かる手段は高台への避難と誰もが知っていたのに、なぜ校庭にとどまり続けたのか。疑問や悔いが尽きない中、学校側と保護者の多くは責任問題を巡って歩み寄れない状態が続き、保護者の悲しみも癒やされません。しかし、学校という場所で多数の犠牲者を出した事実の重さからは、決して逃れることはできないと考えます。

今や、様々な災害が日本各地で多発し、日常生活がいとも簡単に奪われる事態を目にします。今後を見据え、誰もが互いに支え・支えられる関係を築いておくことがなにより大切ではないでしょうか。

石巻市大川小学校跡