被災地からの報告 大川小学校

2018年10月24日 22時12分 | カテゴリー: 活動報告

犠牲となった児童の保護者が案内をされています。

 

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による大津波の発生により、大川小学校の全校児童数108名のうち74名が犠牲となり、教員も13名中10名が亡くなりました。学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件・事故としては、戦後最悪の惨事と言われています。地震が発生した時刻は14:46ですが、津波が大川小学校に到達したのは残されていた複数の時計が15:37を指していたことにより、51分後であったと推定されます。地震直後、校舎は割れたガラスが散乱し、その後の余震で校舎が倒壊する恐れもあったため、教師らは児童を校庭に集め、点呼を取り全員の安否を確認し、その後、避難先について協議をしていたとの事です。学校の裏には、椎茸栽培の体験学習も行われていたなだらかな山があり、なぜ鉄則である高台へ逃げなかったのかとの疑問が残ります。大川小学校は海から4㎞弱の距離があり、小学校は地域の避難所に指定されている場所でした。また、過去の地震においても津波が到達していなかったことで危機管理マニュアルには津波を想定した第2次避難先が明記されていないことから、震災後石巻市教育委員会はその責任を認め、保護者らに謝罪しています。何よりも大切な子どもを失った保護者の多くは、地震のあと津波が来るまで、何があったのか、何をしようとしていたのか、何を考えていたのかを知りたいと切望しています。しかし、教育委員会の説明は矛盾が多く、内容が二転三転しています。文科省が立ち上げた第三者委員会も、その報告では何ら保護者たちが捉えているもの以上のことはなく、事実解明に期待できるものではありませんでした。また、校長が市教育委員会へ報告した内容も納得し難いものであり、2014年3月10日、犠牲となった児童23人の遺族が宮城県と石巻市に対し、総額23億円の損害賠償を求める民事訴訟を仙台地方裁判所に起こしました。2016年10月26日仙台地方裁判所は、学校側の過失を認定し、23人の遺族に総額14億2658万円の支払いを石巻市と宮城県に命じました。石巻市と宮城県は、津波の襲来を予見できなかったとの主張に対し、「石巻市の広報車が大川小学校付近で津波接近を告げ、高台への避難を呼びかけた時点までに、教員らは大規模な津波の襲来を予見できたはず、学校の裏山に非難しなかったのは過失」と結論付けました。2018年4月26日、双方による控訴審においても、学校が地震前の対策を怠ったことが指摘しされ、学校側の防災体制の不備を認定し、1審判決よりも約1000万円多い総額14億3617万円の支払いを命じました。県の責任に加えて、市教委までを含めた「組織的過失」を認定し、教師らは独自にハザードマップの信頼性を検討すべきであり、北上川から約200メートルに学校があることによる堤防の沈下や決壊、学校へ浸水する危険性の予見可能性を認定しました。

かつて大川小学校は住宅に囲まれた中に存在していましたが、現在は、壊れ、崩れかけた小学校の建物以外周辺には何も残っていません。裏山に続いて小学校の建物が残されている以外、草地が広がっているだけです。しかし、雑草は刈り取られ、ところどころに草花が植えられているなど、定期的に人の手が入っていることがわかります。遠方からも多くのボランティアが大川小学校の整備のために駆けつけ汗を流し、国内外からの訪問客も多くあると聞いています。また、訪問当日の案内をして下さった方は、子どもを亡くされた保護者であり、震災の日に大川小学校で何があったのかを正確に伝え検証し、2度と子どもたちが犠牲となる事態を避けることが自分の役割であると述べられました。

大川小学校の未曾有の惨事を徹底的に検証し、教育現場における今後の防災体制をしっかり築いていくことが犠牲となった子どもたちに応える事であると思います。

海からは約4㎞の距離であったものの、大川小学校の近くを流れる北上川からは僅か200mしかなかった事にどうして危機意識を持たなかったのか、地震発生から51分もあったのにどうしてすぐ裏の山に逃げなかったのか、何度聞いても大きな疑問は払拭されることなく心に残ります。子どもの権利に関わる問題として、石巻市教育委員会や宮城県は義務を果たすことができなかったとの厳しい指摘もあります。二度とこのような惨事を起こさないためには、原因をあきらかにしなくではなりません。起こってしまったことの責任については、裁判の判決が待たれますが、真実をうやむやにしている学校の態度は許されていいものではありません。責任以前に、学校のあり方が厳しく問われるべきです。